レコードのある風景2
2018-04-10
一旦はすべて売り払ってしまったコレクション。しかし再び本格的にレコード収集が始まったのは今住んでいる家に越してきた2011年秋以降のことだったように思います。壊れて処分してしまったターンテーブルに変わって、1万円くらいで買える簡単なレコードプレイヤーをミニコンポに繋ぎました。1970年前半から建つ家のリビングには壁一面に作り付けの棚があって、「ここにレコードを並べて」と語りかけてくるような雰囲気がそこにはありました。ひとコマだったレコードのスペースがどんどん増えていって、音楽を聴く時間がどんどん増えていったのです。音楽がある空間、僕はどんどんテレビを見なくなっていきます。 一緒に引っ越してきた愛猫ポチはレコード棚の隙間で眠ることもありました。「レコード」と「猫」はきれいに韻を踏みます。また昔みたいに100円のエサ箱から毎日たくさんレコードを買うようになって、CDで持っているアルバムもLPで聴くほうが楽しいなと思うようになった。「断捨離」とか「持たない暮らし」みたいなトレンドと真逆の方向へ。フィッシュマンズや小沢健二も手放したときの値段の何倍も払って取り戻しました。R.E.M.のレコードもあれもこれもと手を伸ばして、コレクター道を突き進みます。去年、ちゃんとしたターンテーブルを買ってからはまたどんどんそのスピードが加速しているような気がします。 愛猫ポチが具合が悪くなってもリビングでは静かにいつも音楽が鳴っていました。無音よりも何かの調べが流れているほうが穏やかな顔をしていたポチを思い出します。音楽はまるでタイムマシンだな、と本当に思います。その音楽がMP3やCDであるよりも針が溝を擦って鳴る響きだったら、なおさら美しい。そんなふうに思うのです。僕は自分が作った音源がレコード盤になったことがありません。なので、この夏に『新しい青の時代』という愛すべき作品がこの部屋の空気を震わせるのを心待ちにしています。だれよりも楽しみなのは紛うことなく僕なのです、多分。(続く)
山田稔明(Toshiaki Yamada)
soulquakeさん、これを機会にターンテーブルというのはとても光栄です。新しい記事でプレイヤー事情等書いてみますのでちょっと待っててください。コメントありがとうございました!