昨日とは違う山田稔明の始まり
2018-06-26
いよいよ残り3日となった『新しい青の時代』アナログ盤クラウドファンディング。参加していただいた皆さんに活動報告としてテキストを書き連ねてきましたが、これが27番目のポスト。切りの良いところで30回書くことにします。今日は発売当時友人であり文筆家、DJの志田一穂氏が書いてくれた熱い熱い、長い長いレポートを。 ************** 昨日とは違う山田稔明の始まり。 山田稔明は現在活動停止中のバンド、GOMES THE HITMANのリーダー、ボーカル、ギター、そしてほとんどの楽曲を手がける、いわばバンドという大船の船頭である。1999年、『neon, strobe and frashlight』でメジャーデビュー。文庫本小説をコンパイルしたアルバム『cobblestone』や、まるで山田個人の私小説を綴ったかのようなアルバム『mono』、アニメタイアップらしからぬ、溢れる現代詩のような言葉で表現した「明日は今日と同じ未来」など、広く普遍的に親しまれるメロディーをベースに置きながら、山田による“言葉”によってさらに唯一無二の世界観を形成し、その大海原で広く活躍し続けてきた。 そんな彼がソロ活動をスタートさせたのは2007年頃。それまで一心にGOMES THE HITMANを引っ張ってきた彼にとって、それはバンドという船を一時降りて、一人とある島へ上陸し、どこへ向かうかはわからないがとにかく歩き始めてみよう、といった様子であった。彼はアメリカ大陸にはじめて訪れたコロンブスのように、まずは自分史の開拓に精を出し始め、ティピーテントを張るインディアンよろしく新たな生活を始めた。所持品はギターだけ。彼はそれを奏でながら各地を転々としながら歌を歌った。様々な場所で新しい同志たちと出会い、狼煙を見つけるとまたそこへ出向いていった。そして見るもの全てを愛でながら新しい歌を作り続けた山田は、旅先でまとめられた開拓史の一部を、2009年にアルバム『pilgrim』として結実。旅人・山田稔明の新たな足跡が大陸に刻まれたモニュメントであった。翌年2010年にはその続編ともなる『home sweet home』を発表。旅を続ける事により、各地で育まれた人と人の絆を“home”と称し、いつでも自分には帰る“家”がある。いつでも自分には待っていてくれる“人”がいる、と高らかに謳いあげ、山田は第一次自分開拓史に一応の幕を閉じた。 そして2011年。次なる旅の準備に余念がなかった頃、突如として震災に見舞われ、山田もまた世界の絶望を体感し、仲間と共に多くの涙を流した。平凡な毎日の暮らしが確かに変わってしまった事を認識しながら、山田はそれでも光の閉ざされた家でギターを鳴らし続けた。嫌なことを忘れてしまおうと大好きな歌をでたらめにでも歌い続けた。明日が今日と同じでも、あさってくらいになら少しだけ希望が奏でられる。そんなちっぽけな未来のブルーな気持ちに少しでも光をと、輝きを失った街を見ながら、そこにこそ新しい朝がくるのだと信じて歌った。 その歌たちはやまびこのように、これまで旅をしてきた遠き地に住む仲間たちにも確かに伝わっていった。励まし合う言葉には魂が宿り、いくつの山々を越えてまた新たな絆を形成していった。もう一度旅に出て、その気持ちを確かめ合い、昔から語り継がれている言葉だって、何度でも歌い尽くされている歌だっていいから、また一緒に“歌”を共有しようという機運が高まった。山田は旅先で仲間たちと無事を確かめあい、再び歌を共有し始める。すぐに歌にして盤に記録するよりも、ゆっくりと仲間たちと歌を育てていく事を山田は選んだ。不確かな日々の中の言葉では、本当の“今”は描けない。伝えたい想いは山ほどあるけれど、今はポッケや手帳に隠しておけばいい。そんな気持ちを抱きながら、またひたすらに旅を続け、歌を歌った。そして少しずつ少しずつ、新しい“言葉”が紡がれていった。それはブルーな感情に包まれていたが、なりゆきまかせの旅をしている山田にとっては、実に自然で普遍なものであった事だろう。今は何より気持ちを一つにしてたくさんのブルーな想いを歌で包んでしまおう。そんな思いで時を過ごし、ホスピタリティー溢れる音楽の共有の日々は続いていった。 そしてそれら群青のエモーションの結晶が、ようやく2013年になって芽吹く。ニューアルバム『新しい青の時代』の誕生である。ここには、絶望がある。失意があり、悲しみが溢れている。こんなに悲しいアルバムがGOMES THE HITMANの時代からあっただろうかと疑うほどである。かつて山田稔明はバンドという船で大海原を航海している途中、その舵を奪われ、一時コンパスも使えない遭難時期を経験した事がある。もちろんそんな時でも山田は気にせず歌を歌い続けるのだが、その時発表されたアルバム『mono』もまた、孤独と切なさに溢れたアルバムであった事を思い出す。しかしそれはまた自由な身でありながらの孤独の歌であり、その先に確かな希望と情熱が満ち満ちていた。それとはまた違う、『新しい青の時代』の悲しみとはなんであろう。 山田はあらゆる旅先で優しさに満ちた数々の理想郷と出会い、今日まで歌を歌い続けてこれた、と言える。そこには唐紅のもみじを敷き詰めた風景があった。海を見下ろす月あかりの光があった。田舎道の風が稲穂を揺らす、星降る街の輝きがそこかしこにあった。しかしそれらが、一時青いフィルターにかかってしまった情景を山田は認識する。そして自分の歌にあえてブルーシートを被せて避難場所を作るのだ。皆、暮らしはどう?一瞬立ち止まってみてもいいじゃないか。変わらないかもしれない。季節はもういつかの季節になって今があるだけかもしれない。だけど考えて、感じて、少しだけ思ってみよう。どれだけ歩けばオトナになれるかなんてわかりはしない。だけどわからない事を考えることで、少しはオトナになれないだろうか?少しだけまともにはなれやしないかな?絶望の淵で皆が寄り添い、こだまする歌を共有してきた山田はそんな事を求め、願いが叶うならば、その避難場所から脱出した時にこそ目の前に真っ青な青空が広がっていてほしいと思う。新しいホライズンの境界線に輝く地平上の青いラインを、また僕らの手に取り戻したいと思う。そしてその空に舞うユニコーンのような幻想的できらびやかな絵空事を、再び僕らは楽しめる事が出来ないだろうか。そんな、現実離れした願いと共にでも、あえて「皆、暮らしはどう?」 と、考えを問うているのではないだろうか。 本作『新しい青の時代』で描かれているブルーは、希望の果ての絶望によるものではない。感じ得る絶望の果てに何を見るのか、その重要性を綴ったものなのだ。その為に山田は卓越した音楽センスと共に、優しく仲間たちに“考えること”を提案し、再び一緒に歌っていこうと呼びかける。新しい人びとと出会い、また「こんにちは」「はじめまして」「いい日だね」と語り合う。誰だって「気分の悪い日だね」なんて言い合いたくはない。ゆっくりと、日向ぼっこしている猫と共に、今日は何しようかなと考えながら日が暮れて呆れて笑っていたい。今はちょっと嫌なジョークみたいなニュースも多いよ。味のなくなったガムみたいに、文字通り味気ない時だってあるよ。だけどちょっと考えてみればいいと山田は提案しているのだろう。考えること。それは単純な事でありながら、新しいコミュニケーションの提案の始まりであり、確かに昨日とは違うサムシング・ニューの始まりなのだ。言葉にすると薄っぺらいけど、言葉だけじゃ足りないけど、はじめて憶えた英会話のような驚きと新鮮をもう一度取り戻そせる筈だろう?と叫んでいるような気さえする。“今まで通り、愛すべき平凡な日々ではないよ、でもね。”山田が言っている事はそんな些細なことのようなメッセージなのではないだろうか。それは文字通り、誰にもわからなかった(予想だにしなかった)本当の物語であり、旅人・山田稔明が大陸を渡り歩いてきた果てに見る、新しいブルーの時代にこそ問うべき、昨日とは違う彼による永遠の普遍についてのアプローチなのである。 志田一穂 2013.7.7