△0 Trio Zeroファーストアルバム「Energetic Zero」制作プロジェクト

活動報告

Trio Zero たった2回のスピンオフ企画

2020-03-16

Trio Zeroと名乗っていますが、ずっと「橋本学trio」という名前でやってきました。 ピアノトリオが好きなので、リーダーになってピアノトリオ・セッションを組んだ事は多々あります。 柳隼一(p)落合康介(b)橋本、細川千尋(p)織原良次(flb)橋本、田中信正(p)安ヵ川大樹(b)橋本、長野に来てからは望月慎一郎(p)中島仁(b)橋本→後の中島仁trio、藤原尚(p)武重俊輔(b)橋本→後のR299、です。改めて凄いラインナップ。 しかしながら、橋本学trioと自分の名前を冠していたのは伊藤志宏・織原良次・橋本学の組み合わせだけです。優劣ではなく、人間関係や継続している事も含めて特別だからです。 かつて、ブッキング後に織原良次がスケジュールNGになった事が2度ありました。 ジャズの現場でよくあるのが「レギュラーベーシストができなくなったから代わりのベーシストに出演依頼する=トラ(エキストラ)を頼む」という事をします。 しかし、織原良次の代わりに誰かベーシスト、という発想にはどうしても至れませんでした。あんな人の代わりなんかいるわけがない(笑)。 なので、その2回はベースレスでそれぞれ行川さをり(vo)ちゃんと北田学(cl)君にお願いしました。何という伊藤志宏人脈! さをりちゃんにお願いしたライブは2006、7年だったかな?織原良次欠場が発覚したのは本番の2週間前。志宏に相談した結果「さをりちゃんがいいんじゃない?」との事で急遽お願いしました。 そのあたり、橋本学オフィシャルブログに書いた事があるので引用します。 "その次の橋本trioライブだったか、織原良次が出演できなくなった日がありまして、ベースの代役を入れる気にならなかったので「さをり=志宏=橋本」でライブを決行しました。ジャズ・ヴォーカリストだと思っていた行川さをりは実は完全即興もディープなブラジルも、何と橋本オリジナルもいけるとわかり、この日のライブは記憶に残るものとなりました。 この「さをり=志宏=橋本」は後にレギュラー化し、志宏曲や矢野顕子の曲、ボサノバや3人で作った曲をやりました。一方でギターの前原孝紀さんとも繋がりがあった事から「さをり=前原=織原=橋本」という4人でも、ポルトガル語でのブラジル音楽を中心に長く活動を共にしました。" さをりちゃんとはこの衝撃のライブがきっかけで10年くらい付き合いが続き、2018年にはついに東京から山梨に呼びました(橋本は長野富士見在住)。上記の文はその時の告知記事内にあります。 http://mh-ob.blogspot.com/2018/05/?m=1 朝から「太田朱美Risk Factor with phonolite ensenble」のリハがあり(日中は織ちゃんと一緒だった!)、夜型だったのでほぼ徹夜、夜は外苑前の旧ジマジンでのさをり=志宏=学。お客さん3人だったなあ(笑)。でもこれを見ていただけたのは本当にありがたいです! さをりちゃんは前述の2018年度、昼間リハを共にした太田朱美(fl)ちゃん水谷浩章(b)さんは2020年度にそれぞれ「音ギバナシ」という橋本学山梨長野企画で共演をお願いしています。まさに運命の1日!! 一方、北田学君との3人はまさにaudace+橋本という夢の企画。なぜなら僕はただのaudaceファンだから(笑)。 今はリンクしていない旧ブログに当時のライブ後記がありました。 http://dmen.jugem.jp/?eid=24 これも忘れられないライブになったなあ。 この続編は、やはり水谷浩章さんとともに! https://youtu.be/mDnwS8eNGoA お時間があれば見てみて下さい。 …というように、メンバー変更した事はあります。 この2回以外は全部志宏+織ちゃん+橋本でやっています。 このスピンオフ企画、きっかけがTrio Zeroだったというだけで全く違う音楽でした。しかし2回とも、凄い出会いになりました。

  • Guest

    自分、その会場にいました!😁 えらく楽しかった覚えがあります 10年以上前な気が、、、😓 セットの合間には、audaceが流れていて、、、 贅沢な時間でしたよ

  • Guest

    なんと!その節はありがとうございました。自分は年平均150回くらいはライブをやってきて、20年弱で計3000 回くらいのライブに参加していますが、あの日の事が強烈に記憶に残っています。