「新しい」が描きだす新しい暮らし
2018-06-29
いよいよ残り1日となった『新しい青の時代』アナログ盤クラウドファンディング。参加していただいた皆さんに活動報告としてテキストを書き連ねてきましたが、これが29番目のポスト。2013年のリリースから10ヶ月過ぎたころに長年のファンである大学准教授氏が書いてくれたの読み応えのある“レポート”をここに掲載します。個人的にも気付かされることの多かった文章です。今日読んでもまたあらたな発見があり、これまでの道のりと自分の残した轍について考えるのでした。 ***************** 「新しい」が描きだす新しい暮らし ***************** 山田さんの『新しい青の時代』が2013年7月7日に発売され、日々の生活のなかで幾度も繰り返し聴くことができる日がやってきてから、10か月近くの時間が経ちました。2009年3月発売のソロ一作目『pilgrim』、2010年5月発売のソロ二作目『home sweet home』のときと同じように、ライブで何度も披露されてきた曲ばかりが収録されたこともあり、それぞれの曲たちを初めて生で聴いたときのことを思い出し、心地よいメロディーやフレーズを確認しながら聴くことができるのは、ここ数年の山田さんのCDを購入するときの楽しみのひとつでもあります。 ところで「『新しい青の時代』に収録された曲たちは、いつ頃からライブで聴かせていただいていたのだろうか?」と思いまして、山田さんのブログの過去ログを遡ってみました(こういう作業を可能にする山田さんご自身の日々のこまめな記録に感謝します)。 ①どこへ向かうかを知らないならどの道を行っても同じこと(初演は2011年9月10日の恵比寿天窓switch) ②一角獣と新しいホライズン(初演は2011年9月10日の恵比寿天窓switch) ③光と水の新しい関係(初演は2010年9月11日の恵比寿天窓switch) ④予感(初演は2012年4月7日の等々力巣巣) ⑤平凡な毎日の暮らし(初演は2010年9月10日の恵比寿天窓switch) ⑥月明かりのナイトスイミング(初演は2011年9月10日の恵比寿天窓switch) ⑦やまびこの詩(初演は2011年10月1日の等々力巣巣) ⑧光の葡萄(初演は2011年9月10日の恵比寿天窓switch) ⑨日向の猫(初演は2011年12月27日のカフェ長男堂/2013年1月19日の表参道GROUNDまでのタイトルは「日向の猫とチャーリー・ブラウン」/2013年5月12日の大阪雲州堂のライブから「日向の猫」に改題) ⑩ハミングバード(初演は2009年5月30日の恵比寿天窓switch/2012年2月5日までのタイトルは英語表記の「hummingbird」/2012年3月19日の札幌食べるとくらしの研究所のライブからカタカナ表記の「ハミングバード」に改題) ⑪あさってくらいの未来(初演は2012年9月9日の等々力巣巣) 2009年の曲が1曲、2010年の曲が2曲、2011年の曲が6曲、2012年の曲が2曲という全11曲の構成になっています。月別で見ていくと、9月に発表された曲が7曲と圧倒的に多くて、それ以外は4月、5月、10月、12月にそれぞれ1曲ずつ発表されています。今回のアルバムの発売日は夏の盛りの時期でしたが、収録された曲たちは夏の終わりから秋の始めくらいの時期に、新曲としてお披露目されたものが多いということになります。特に2011年9月10日の恵比寿天窓switchでは、『新しい青の時代』の収録曲のうちの4曲が新曲として発表されていて、この日のライブが今回のアルバムの方向性を強く示していたのではないかという気がしています(この日のライブに足を運べなかったことは今でも悔しく思っています)。『pilgrim』『home sweet home』『新しい青の時代』のソロ三作品のいずれにも、1曲目の歌詞のなかに「9月」という言葉が出てくるのは決して偶然ではないのでしょうね。 今回のアルバムでとても印象的だったことはふたつあって、ひとつは収録曲の日本語表現が強調されたことです(前作までと違って全曲が日本語タイトル曲になっています)。「ハミングバード」の曲名が途中からカタカナ表記に変更されたのは、おそらくそのためではないかと思っているのですが、このあたり山田さんの本音としてはどうなのでしょうか。もうひとつは、「新しい」というフレーズが何度か出てきたことです。アルバムのタイトルはもちろんなのですが、「一角獣と新しいホライズン」「光と水の新しい関係」といった曲名のほか、歌詞カードをめくると「新しい朝」「新しい地図」「新しいスニーカー」などのフレーズを目にすることができます。『pilgrim』では「旅路」、『home sweet home』では「家路」という明確なテーマがありましたが、今回の『新しい青の時代』に関しては「暮らし」というテーマを強く感じました。旅に出て旅から帰ってきて、そしていつも同じような「暮らし」が繰り返される。それは「平凡な毎日の暮らし」という曲名が直接的に表していますし、「光の葡萄」のなかにも「暮らしはどう?みんな」という歌詞が出てきたりしています。「退屈ないつもの日々」と言いたくなるくらいのありふれた日常のできごとですが、けれどもそれは、「確かに日々は変わった」と力強く言い切るように歌われています。 こういった平凡で何気ない日々の「暮らし」というテーマを強く意識させられるのは、2011年3月11日の東日本大震災以降につくられたアルバムであるということも理由のひとつなのかなと感じています。2013年6月13日の『まよいながら、ゆれながら』についての山田さんのブログ記事にもあるように、3年前のあの大震災は、多くの人たちの平凡な「暮らし」をあっという間に奪ってしまいました(1)。私たちの家族も当時住んでいた茨城県で被災し、とても強いショックを受けながら不安な日々を過ごすことになりました。そんななか、翌3月12日にGOMES THE HITMANの公式YouTubeアカウントから、「people have the power!」のタイトルで「ハミングバード」のデモ音源がアップされました(この頃はまだ「hummingbird」という英語表記の曲名でした)。「小さなことかもしれないけれども、僕が音楽人としてできることはこういうことかなあと思ったのです」という山田さんのコメントとともにアップされた「ハミングバード」を、私も荒れ果てた部屋の片隅でYouTubeを通して何度も聴いていました(2)。 「ハミングバード」の公開に続き、東日本大震災の前にライブでも披露されていた「平凡な毎日の暮らし」のデモ音源が、その翌3月13日にアップされました(3)。「このブログを見にきてくれて文章を読んでくれた、僕の音楽を好きで応援してくれる皆さんの5分くらいの息抜きのおともに、まだレコードになっていない歌のデモを1曲公開します」「平凡な毎日の暮らしがどれほど愛すべきものか、手に入れにくくなるとその大事さを実感します」と、山田さんはデモ音源の公開に際してのコメントを添えてくださいましたが、街じゅうが混乱していたあの日々にこの曲を聴いた方も多いのではないでしょうか。「さあ新しい地図とコンパスを」と力強く歌い上げる部分などは、東日本大震災前につくられていたとは思えないくらい、あの不安で途方に暮れていた日々を過ごしていた人たちの力になっていたのではないかと思います。 私たちの家族は仕事の都合で伊勢に引っ越すことになる直前に東日本大震災に遭遇したのですが(引っ越し日が2011年3月24日の予定でした)、まだ大震災後の混乱や余震が激しく、交通インフラの復旧も遅れていたため、果たして無事に引っ越しができるのかという心配をしつつ、部屋中に散乱してしまった荷物を片付けながら何度も「ハミングバード」と「平凡な毎日の暮らし」を聴いていました。東日本大震災に関連づけてこれらの曲を聴かなくてもいいのですが、あのとき既にこの2曲がつくられており、未来への希望を込めた形で私たちに届けられたことは今でも忘れられません。 『新しい青の時代』のなかで個人的に一番印象的に感じた曲は、8曲目の「光の葡萄」という曲です。歌詞を読んでみると、「君」ではなく「みんな」に向けて歌われた曲という点で、今回のアルバムのなかでは毛色が少し違うなと感じました(1か所だけ「君」という言葉が出てくるのですが、基本的には「みんな」に向けた曲のように聴こえます)。「暮らしはどう?みんな」と何度も繰り返され、「それぞれの暮らし」は「それぞれの房」に喩えられ、それが甘い実をつける「光の葡萄」と呼ばれます。私たちの日々の生活のなかのふとしたすき間には(最終電車から帰る道すがらは、日常生活の「すき間」と呼ぶにふさわしいゆっくりとした時間が流れてきます)、こんな風にこれまでに出会ってきた「みんな」のことを思い浮かべたりすることがあるなぁ、などという何気ない心の動きに気づかせてくれます。その場には見あたらないどこか別の場所で暮らしている「みんな」という他者に対し、「暮らしはどう?」と心のなかで問いかけるという作業は、実際は自分自身の現在の暮らし方を振り返ってみたい気持ちが現われた瞬間のようにも思えます。「みんなの暮らしはどう?」という宛てのない問いかけは、「私の暮らしはこうだよ」という自分自身へのつぶやきへと繋がる言葉です。 GOMES THE HITMANの『new atlas e.p.』『cobblestone』『maybe someday e.p.』三部作の頃を思い返してみると、「僕たちのニューアトラス」「僕らの暮らし」「プロポーズ大作戦」などの曲名からもわかるように、「僕と君」「僕ら」「僕たち」「二人のこれから暮らし」への期待が描かれた曲が多くありました。これらの曲で歌われる状況はまだ「一人」の頃であり、だからこそ、「二人」の未来を語りたくなっていたように思えます。たとえば「プロポーズ」という行為は、それまでお互いが「一人」で過ごして来た者同士が、「二人」で暮らし始めることを選択する場面で用いられるものです。こんな風に誰かと一緒に暮らすようになる前は、「二人のこれからの新しい暮らし」のことを想像し、それを言葉にしようとします。それに対して「光の葡萄」では、現在の「僕」と「みんな」とを対比する様子が描かれています。おそらく「僕」の生活は家族を築くような年齢になっていて、同じような毎日が続いている人物だと思うのですが、そういう「一人」ではない生活が長く続いていくと、自分自身のこれまでを振り返ったりこれからの生き方について考えたりするなど、「一人」きりで考える時間がたまにやってきたりします。若くて「一人」で暮らしていた頃は「二人」での暮らし方を考えたくなりますが、やがて結婚して家族が増えて生活が変化してしまうと、日々の生活のすき間に「一人」の自分の人生を振り返りたくなります。帰り道で「みんな」に問いかける言葉は、本音の部分では自分自身の現状の暮らし方を確かめてみたいという気持ちが込められているような気がしています。 結婚や出産など、人生の節目のイベントがあるごとに私たちの生活スタイルは大きく変わりますが、歳を積み重ねて家族の形態が変わり、今日と同じような明日が続いていけばいくほどに、過去や現在の「みんな」へと問いかけたい瞬間が訪れます。「どこへ向かうかを知らないならどの道を行っても同じこと」のなかにも「遠い友だちよ」という歌詞が出てきますが、結婚相手や子供たちに囲まれながらも、ふとした瞬間に「一人」きりで過去のできごとを振り返るくらいに、私たちの「暮らし」は平凡に毎日続いていくものです。「暮らしはどう?みんな」も「遠い友だちよ」も、結局は今の私たち自身への問いかけの言葉みたいに聴こえます。「私は今こんな風に暮らしているよ」と、どこかの誰かに伝えたい気持ちになります。自分のたどってきた過去のできごとを愛おしく、ときに感傷的に思い出せるくらいに、そしてまた、現在の自分が歩んでいる道をときどき振り返って確かめるくらいに、少しずつ歳を積み重ねてきたことの時間の重みを感じます。 最後に私的なことを記したいと思います。私たち夫婦は伊勢に引っ越す前は東京のライブに頻繁に足を運んでいまして、いつのライブだったかは忘れてしまいましたが、MCのなかで山田さんが「hanalee」という曲名にちなんだ名古屋のお住まいの「ハナリちゃん」という名前の女の子の話をされたことがあります。「ハナリちゃん」という名前の響きがかわいいと思っていて、実は娘が生まれたらそういう名前もいいかなとは少し考えたりもしていました。そのときはまさか自分が名古屋近郊に引っ越すとは考えていませんでしたが、引っ越し後に名古屋大須モノコトでのライブに参加した帰り道に、「ハナリちゃん」ご本人を遠目に眺めることもできました。 そしてその後、2012年末に私たち夫婦にも子供が生まれました。男の子だったのでさすがに「ハナリくん」とは冗談でも名づけづらいなとは思いまして、いろいろと考えた末に息子の名前を「新」(あらた)と名づけました。多くの人たちやものごとが失われた東日本大震災から2年近くの時間が経った2012年の年末に生まれた息子の顔を見て、誰かのために世の中のために「新しい」何かを生み出せるような人になってほしいとの思いを込めました。訓読みで発音したときの音の響きが柔らかい印象の漢字一文字を探しているなかでたどり着いた名前ですが、名づけ作業中の頭の片隅には、その頃の山田さんが歌い上げていた曲の歌詞に出てくる「新しい」というキーワードがありました。引っ越し前の恵比寿や引っ越し後の大須モノコトで聴いた「光と水の新しい関係」という曲名は特に印象深く、名づけに際しても少なくはない影響を受けた曲だったりします。 年末に生まれた息子に名前をつけ、日々の子育てに必死になっているなかで、山田さんの新しいアルバムのタイトルが『新しい青の時代』になるというニュースが入ってきました。あぁ、息子の名前を「新」と名づけて正解だったなぁ、とそのニュースを目にしたときに思いました。「新しい」という言葉を大事に歌っていた山田さんが、アルバムタイトルにも「新しい」という言葉をつけている。そのとき、「新」と名前をつけた息子がそばにいたことは、偶然のできごととはいえ、「ハナリちゃん」にも並ぶようないい名前を付けられたのではないかと思いました。ある程度は覚悟してはいたものの、子供が生まれると日々の生活ペースが予想していた以上に激変してしまい、ライブに足を運ぶ時間的な余裕がほとんどなくなってしまいましたが、こうして元気に生まれてきた息子の顔を眺めると、「昨日とは違う世界のはじまり」が訪れたことをとても強く実感します。 「新しい」という言葉は、「改める」という言葉と語源が同じなのだそうです。「改める」ことは「新しい」ことで、私たちの毎日の「暮らし」は常に「改める」ことを模索し続ける日々とも言えるでしょう。東日本大震災で大きく変わってしまった私たちの平凡な毎日の「暮らし」ですが、生まれてきた小さな命がもたらしたささやかな日々の「暮らし」の変化という節目の時期には、『新しい青の時代』の収録曲がとてもよく似合うように感じています。父親になった私も何か「新しい」ものを生み出せるように、ささやかながらも何かを「改める」ことを続けていけるように、そういう気持ちで息子の成長を見守っていきたいと思っています。 つい先日に『緑の時代』の発売も告知されました。『緑の時代』は過去に発表された曲たちが収録されるということもあって「新しい」という言葉が付けられていませんが、過去の曲たちが「改めて」録り直されるという意味では、これも「新しい」ことに繋がるのだと思っています。『新しい青の時代』と『緑の時代』があちこちの「暮らし」のなかに届けられ、いろいろな街のなかに散らばり、いくつもの川や山を越えて音楽が流れ出し、山田さんの歌声がどこまでも響き渡っていく様子が目に浮かびます。私たちの「新しい」平凡な毎日の「暮らし」が、穏やかに緩やかに、健やかに軽やかに、どこまでも続いていく日々の繰り返しを願ってやみません。 2014年4月15日 皇學館大学文学部国文学科准教授 岡野裕行 (1)http://toshiakiyamada.blog.jp/archives/52024311.html (2)http://toshiakiyamada.blog.jp/archives/51835431.html (3)http://toshiakiyamada.blog.jp/archives/51835917.html