山田稔明『新しい青の時代』限定アナログ盤

Activity report

レコードを発送しました

2018-07-10

レコードを発送しました

みなさまのサポート、本当にありがとうございました!

2018-06-30

2013年に『新しい青の時代』をリリースするときから、アナログ盤を作るために何度も見積もりをしてはため息をつき、それを毎年のように繰り返してきた経緯があるので、今年この作品を30センチ四方のLPにすることが実現して、本当に嬉しく思っています。CDと同じような2つ折りのダブルジャケットにこだわったので、採算を度外視したコストがかかったけど、このクラウドファンディングで皆さんが支援してくださったおかげで可能になったのです。僕は申し込んでくださったすべての方のお名前を見ました。ファンの方、いつもライブでお世話になってる方、作家さん、古い友だち、懐かしい知人。毎日新鮮で発見の多い3ヶ月でした。

これが30番目の「活動報告」、これでクラウドファンディング期間中の最後の更新となります。「そんなに更新する人は山田くんが初めてだ」と運営スタッフから感心されましたが、それくらい皆さんには感謝しているし、いろんなことを逐一報告したかったのです。なんだか、同じたくらみを共犯しているような、繋がっている感じがしたからかもしれません。LPを作るなんて、あまり現実的じゃないことを真剣に突き詰められたことが、この上半期の一番の出来事だったような気がします。お付き合い、ありがとうございました。

LPを楽しみにしていてください。また事後報告なども追って。

「新しい」が描きだす新しい暮らし

2018-06-29

いよいよ残り1日となった『新しい青の時代』アナログ盤クラウドファンディング。参加していただいた皆さんに活動報告としてテキストを書き連ねてきましたが、これが29番目のポスト。2013年のリリースから10ヶ月過ぎたころに長年のファンである大学准教授氏が書いてくれたの読み応えのある“レポート”をここに掲載します。個人的にも気付かされることの多かった文章です。今日読んでもまたあらたな発見があり、これまでの道のりと自分の残した轍について考えるのでした。


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「新しい」が描きだす新しい暮らし
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山田さんの『新しい青の時代』が2013年7月7日に発売され、日々の生活のなかで幾度も繰り返し聴くことができる日がやってきてから、10か月近くの時間が経ちました。2009年3月発売のソロ一作目『pilgrim』、2010年5月発売のソロ二作目『home sweet home』のときと同じように、ライブで何度も披露されてきた曲ばかりが収録されたこともあり、それぞれの曲たちを初めて生で聴いたときのことを思い出し、心地よいメロディーやフレーズを確認しながら聴くことができるのは、ここ数年の山田さんのCDを購入するときの楽しみのひとつでもあります。

ところで「『新しい青の時代』に収録された曲たちは、いつ頃からライブで聴かせていただいていたのだろうか?」と思いまして、山田さんのブログの過去ログを遡ってみました(こういう作業を可能にする山田さんご自身の日々のこまめな記録に感謝します)。

①どこへ向かうかを知らないならどの道を行っても同じこと(初演は2011年9月10日の恵比寿天窓switch)
②一角獣と新しいホライズン(初演は2011年9月10日の恵比寿天窓switch)
③光と水の新しい関係(初演は2010年9月11日の恵比寿天窓switch)
④予感(初演は2012年4月7日の等々力巣巣)
⑤平凡な毎日の暮らし(初演は2010年9月10日の恵比寿天窓switch)
⑥月明かりのナイトスイミング(初演は2011年9月10日の恵比寿天窓switch)
⑦やまびこの詩(初演は2011年10月1日の等々力巣巣)
⑧光の葡萄(初演は2011年9月10日の恵比寿天窓switch)
⑨日向の猫(初演は2011年12月27日のカフェ長男堂/2013年1月19日の表参道GROUNDまでのタイトルは「日向の猫とチャーリー・ブラウン」/2013年5月12日の大阪雲州堂のライブから「日向の猫」に改題)
⑩ハミングバード(初演は2009年5月30日の恵比寿天窓switch/2012年2月5日までのタイトルは英語表記の「hummingbird」/2012年3月19日の札幌食べるとくらしの研究所のライブからカタカナ表記の「ハミングバード」に改題)
⑪あさってくらいの未来(初演は2012年9月9日の等々力巣巣)

2009年の曲が1曲、2010年の曲が2曲、2011年の曲が6曲、2012年の曲が2曲という全11曲の構成になっています。月別で見ていくと、9月に発表された曲が7曲と圧倒的に多くて、それ以外は4月、5月、10月、12月にそれぞれ1曲ずつ発表されています。今回のアルバムの発売日は夏の盛りの時期でしたが、収録された曲たちは夏の終わりから秋の始めくらいの時期に、新曲としてお披露目されたものが多いということになります。特に2011年9月10日の恵比寿天窓switchでは、『新しい青の時代』の収録曲のうちの4曲が新曲として発表されていて、この日のライブが今回のアルバムの方向性を強く示していたのではないかという気がしています(この日のライブに足を運べなかったことは今でも悔しく思っています)。『pilgrim』『home sweet home』『新しい青の時代』のソロ三作品のいずれにも、1曲目の歌詞のなかに「9月」という言葉が出てくるのは決して偶然ではないのでしょうね。

今回のアルバムでとても印象的だったことはふたつあって、ひとつは収録曲の日本語表現が強調されたことです(前作までと違って全曲が日本語タイトル曲になっています)。「ハミングバード」の曲名が途中からカタカナ表記に変更されたのは、おそらくそのためではないかと思っているのですが、このあたり山田さんの本音としてはどうなのでしょうか。もうひとつは、「新しい」というフレーズが何度か出てきたことです。アルバムのタイトルはもちろんなのですが、「一角獣と新しいホライズン」「光と水の新しい関係」といった曲名のほか、歌詞カードをめくると「新しい朝」「新しい地図」「新しいスニーカー」などのフレーズを目にすることができます。『pilgrim』では「旅路」、『home sweet home』では「家路」という明確なテーマがありましたが、今回の『新しい青の時代』に関しては「暮らし」というテーマを強く感じました。旅に出て旅から帰ってきて、そしていつも同じような「暮らし」が繰り返される。それは「平凡な毎日の暮らし」という曲名が直接的に表していますし、「光の葡萄」のなかにも「暮らしはどう?みんな」という歌詞が出てきたりしています。「退屈ないつもの日々」と言いたくなるくらいのありふれた日常のできごとですが、けれどもそれは、「確かに日々は変わった」と力強く言い切るように歌われています。

こういった平凡で何気ない日々の「暮らし」というテーマを強く意識させられるのは、2011年3月11日の東日本大震災以降につくられたアルバムであるということも理由のひとつなのかなと感じています。2013年6月13日の『まよいながら、ゆれながら』についての山田さんのブログ記事にもあるように、3年前のあの大震災は、多くの人たちの平凡な「暮らし」をあっという間に奪ってしまいました(1)。私たちの家族も当時住んでいた茨城県で被災し、とても強いショックを受けながら不安な日々を過ごすことになりました。そんななか、翌3月12日にGOMES THE HITMANの公式YouTubeアカウントから、「people have the power!」のタイトルで「ハミングバード」のデモ音源がアップされました(この頃はまだ「hummingbird」という英語表記の曲名でした)。「小さなことかもしれないけれども、僕が音楽人としてできることはこういうことかなあと思ったのです」という山田さんのコメントとともにアップされた「ハミングバード」を、私も荒れ果てた部屋の片隅でYouTubeを通して何度も聴いていました(2)。

「ハミングバード」の公開に続き、東日本大震災の前にライブでも披露されていた「平凡な毎日の暮らし」のデモ音源が、その翌3月13日にアップされました(3)。「このブログを見にきてくれて文章を読んでくれた、僕の音楽を好きで応援してくれる皆さんの5分くらいの息抜きのおともに、まだレコードになっていない歌のデモを1曲公開します」「平凡な毎日の暮らしがどれほど愛すべきものか、手に入れにくくなるとその大事さを実感します」と、山田さんはデモ音源の公開に際してのコメントを添えてくださいましたが、街じゅうが混乱していたあの日々にこの曲を聴いた方も多いのではないでしょうか。「さあ新しい地図とコンパスを」と力強く歌い上げる部分などは、東日本大震災前につくられていたとは思えないくらい、あの不安で途方に暮れていた日々を過ごしていた人たちの力になっていたのではないかと思います。
私たちの家族は仕事の都合で伊勢に引っ越すことになる直前に東日本大震災に遭遇したのですが(引っ越し日が2011年3月24日の予定でした)、まだ大震災後の混乱や余震が激しく、交通インフラの復旧も遅れていたため、果たして無事に引っ越しができるのかという心配をしつつ、部屋中に散乱してしまった荷物を片付けながら何度も「ハミングバード」と「平凡な毎日の暮らし」を聴いていました。東日本大震災に関連づけてこれらの曲を聴かなくてもいいのですが、あのとき既にこの2曲がつくられており、未来への希望を込めた形で私たちに届けられたことは今でも忘れられません。

『新しい青の時代』のなかで個人的に一番印象的に感じた曲は、8曲目の「光の葡萄」という曲です。歌詞を読んでみると、「君」ではなく「みんな」に向けて歌われた曲という点で、今回のアルバムのなかでは毛色が少し違うなと感じました(1か所だけ「君」という言葉が出てくるのですが、基本的には「みんな」に向けた曲のように聴こえます)。「暮らしはどう?みんな」と何度も繰り返され、「それぞれの暮らし」は「それぞれの房」に喩えられ、それが甘い実をつける「光の葡萄」と呼ばれます。私たちの日々の生活のなかのふとしたすき間には(最終電車から帰る道すがらは、日常生活の「すき間」と呼ぶにふさわしいゆっくりとした時間が流れてきます)、こんな風にこれまでに出会ってきた「みんな」のことを思い浮かべたりすることがあるなぁ、などという何気ない心の動きに気づかせてくれます。その場には見あたらないどこか別の場所で暮らしている「みんな」という他者に対し、「暮らしはどう?」と心のなかで問いかけるという作業は、実際は自分自身の現在の暮らし方を振り返ってみたい気持ちが現われた瞬間のようにも思えます。「みんなの暮らしはどう?」という宛てのない問いかけは、「私の暮らしはこうだよ」という自分自身へのつぶやきへと繋がる言葉です。

GOMES THE HITMANの『new atlas e.p.』『cobblestone』『maybe someday e.p.』三部作の頃を思い返してみると、「僕たちのニューアトラス」「僕らの暮らし」「プロポーズ大作戦」などの曲名からもわかるように、「僕と君」「僕ら」「僕たち」「二人のこれから暮らし」への期待が描かれた曲が多くありました。これらの曲で歌われる状況はまだ「一人」の頃であり、だからこそ、「二人」の未来を語りたくなっていたように思えます。たとえば「プロポーズ」という行為は、それまでお互いが「一人」で過ごして来た者同士が、「二人」で暮らし始めることを選択する場面で用いられるものです。こんな風に誰かと一緒に暮らすようになる前は、「二人のこれからの新しい暮らし」のことを想像し、それを言葉にしようとします。それに対して「光の葡萄」では、現在の「僕」と「みんな」とを対比する様子が描かれています。おそらく「僕」の生活は家族を築くような年齢になっていて、同じような毎日が続いている人物だと思うのですが、そういう「一人」ではない生活が長く続いていくと、自分自身のこれまでを振り返ったりこれからの生き方について考えたりするなど、「一人」きりで考える時間がたまにやってきたりします。若くて「一人」で暮らしていた頃は「二人」での暮らし方を考えたくなりますが、やがて結婚して家族が増えて生活が変化してしまうと、日々の生活のすき間に「一人」の自分の人生を振り返りたくなります。帰り道で「みんな」に問いかける言葉は、本音の部分では自分自身の現状の暮らし方を確かめてみたいという気持ちが込められているような気がしています。

結婚や出産など、人生の節目のイベントがあるごとに私たちの生活スタイルは大きく変わりますが、歳を積み重ねて家族の形態が変わり、今日と同じような明日が続いていけばいくほどに、過去や現在の「みんな」へと問いかけたい瞬間が訪れます。「どこへ向かうかを知らないならどの道を行っても同じこと」のなかにも「遠い友だちよ」という歌詞が出てきますが、結婚相手や子供たちに囲まれながらも、ふとした瞬間に「一人」きりで過去のできごとを振り返るくらいに、私たちの「暮らし」は平凡に毎日続いていくものです。「暮らしはどう?みんな」も「遠い友だちよ」も、結局は今の私たち自身への問いかけの言葉みたいに聴こえます。「私は今こんな風に暮らしているよ」と、どこかの誰かに伝えたい気持ちになります。自分のたどってきた過去のできごとを愛おしく、ときに感傷的に思い出せるくらいに、そしてまた、現在の自分が歩んでいる道をときどき振り返って確かめるくらいに、少しずつ歳を積み重ねてきたことの時間の重みを感じます。

最後に私的なことを記したいと思います。私たち夫婦は伊勢に引っ越す前は東京のライブに頻繁に足を運んでいまして、いつのライブだったかは忘れてしまいましたが、MCのなかで山田さんが「hanalee」という曲名にちなんだ名古屋のお住まいの「ハナリちゃん」という名前の女の子の話をされたことがあります。「ハナリちゃん」という名前の響きがかわいいと思っていて、実は娘が生まれたらそういう名前もいいかなとは少し考えたりもしていました。そのときはまさか自分が名古屋近郊に引っ越すとは考えていませんでしたが、引っ越し後に名古屋大須モノコトでのライブに参加した帰り道に、「ハナリちゃん」ご本人を遠目に眺めることもできました。
そしてその後、2012年末に私たち夫婦にも子供が生まれました。男の子だったのでさすがに「ハナリくん」とは冗談でも名づけづらいなとは思いまして、いろいろと考えた末に息子の名前を「新」(あらた)と名づけました。多くの人たちやものごとが失われた東日本大震災から2年近くの時間が経った2012年の年末に生まれた息子の顔を見て、誰かのために世の中のために「新しい」何かを生み出せるような人になってほしいとの思いを込めました。訓読みで発音したときの音の響きが柔らかい印象の漢字一文字を探しているなかでたどり着いた名前ですが、名づけ作業中の頭の片隅には、その頃の山田さんが歌い上げていた曲の歌詞に出てくる「新しい」というキーワードがありました。引っ越し前の恵比寿や引っ越し後の大須モノコトで聴いた「光と水の新しい関係」という曲名は特に印象深く、名づけに際しても少なくはない影響を受けた曲だったりします。

年末に生まれた息子に名前をつけ、日々の子育てに必死になっているなかで、山田さんの新しいアルバムのタイトルが『新しい青の時代』になるというニュースが入ってきました。あぁ、息子の名前を「新」と名づけて正解だったなぁ、とそのニュースを目にしたときに思いました。「新しい」という言葉を大事に歌っていた山田さんが、アルバムタイトルにも「新しい」という言葉をつけている。そのとき、「新」と名前をつけた息子がそばにいたことは、偶然のできごととはいえ、「ハナリちゃん」にも並ぶようないい名前を付けられたのではないかと思いました。ある程度は覚悟してはいたものの、子供が生まれると日々の生活ペースが予想していた以上に激変してしまい、ライブに足を運ぶ時間的な余裕がほとんどなくなってしまいましたが、こうして元気に生まれてきた息子の顔を眺めると、「昨日とは違う世界のはじまり」が訪れたことをとても強く実感します。

「新しい」という言葉は、「改める」という言葉と語源が同じなのだそうです。「改める」ことは「新しい」ことで、私たちの毎日の「暮らし」は常に「改める」ことを模索し続ける日々とも言えるでしょう。東日本大震災で大きく変わってしまった私たちの平凡な毎日の「暮らし」ですが、生まれてきた小さな命がもたらしたささやかな日々の「暮らし」の変化という節目の時期には、『新しい青の時代』の収録曲がとてもよく似合うように感じています。父親になった私も何か「新しい」ものを生み出せるように、ささやかながらも何かを「改める」ことを続けていけるように、そういう気持ちで息子の成長を見守っていきたいと思っています。

つい先日に『緑の時代』の発売も告知されました。『緑の時代』は過去に発表された曲たちが収録されるということもあって「新しい」という言葉が付けられていませんが、過去の曲たちが「改めて」録り直されるという意味では、これも「新しい」ことに繋がるのだと思っています。『新しい青の時代』と『緑の時代』があちこちの「暮らし」のなかに届けられ、いろいろな街のなかに散らばり、いくつもの川や山を越えて音楽が流れ出し、山田さんの歌声がどこまでも響き渡っていく様子が目に浮かびます。私たちの「新しい」平凡な毎日の「暮らし」が、穏やかに緩やかに、健やかに軽やかに、どこまでも続いていく日々の繰り返しを願ってやみません。

2014年4月15日

皇學館大学文学部国文学科准教授 岡野裕行


(1)http://toshiakiyamada.blog.jp/archives/52024311.html
(2)http://toshiakiyamada.blog.jp/archives/51835431.html
(3)http://toshiakiyamada.blog.jp/archives/51835917.html

中村佑介が描く『新しい青の時代』

2018-06-28

中村佑介が描く『新しい青の時代』

山田稔明論文的な

2018-06-26

昨日とは違う山田稔明の始まり。

山田稔明は現在活動停止中のバンド、GOMES THE HITMANのリーダー、ボーカル、ギター、そしてほとんどの楽曲を手がける、いわばバンドという大船の船頭である。1999年、『neon, strobe and frashlight』でメジャーデビュー。文庫本小説をコンパイルしたアルバム『cobblestone』や、まるで山田個人の私小説を綴ったかのようなアルバム『mono』、アニメタイアップらしからぬ、溢れる現代詩のような言葉で表現した「明日は今日と同じ未来」など、広く普遍的に親しまれるメロディーをベースに置きながら、山田による“言葉”によってさらに唯一無二の世界観を形成し、その大海原で広く活躍し続けてきた。

そんな彼がソロ活動をスタートさせたのは2007年頃。それまで一心にGOMES THE HITMANを引っ張ってきた彼にとって、それはバンドという船を一時降りて、一人とある島へ上陸し、どこへ向かうかはわからないがとにかく歩き始めてみよう、といった様子であった。彼はアメリカ大陸にはじめて訪れたコロンブスのように、まずは自分史の開拓に精を出し始め、ティピーテントを張るインディアンよろしく新たな生活を始めた。所持品はギターだけ。彼はそれを奏でながら各地を転々としながら歌を歌った。様々な場所で新しい同志たちと出会い、狼煙を見つけるとまたそこへ出向いていった。そして見るもの全てを愛でながら新しい歌を作り続けた山田は、旅先でまとめられた開拓史の一部を、2009年にアルバム『pilgrim』として結実。旅人・山田稔明の新たな足跡が大陸に刻まれたモニュメントであった。翌年2010年にはその続編ともなる『home sweet home』を発表。旅を続ける事により、各地で育まれた人と人の絆を“home”と称し、いつでも自分には帰る“家”がある。いつでも自分には待っていてくれる“人”がいる、と高らかに謳いあげ、山田は第一次自分開拓史に一応の幕を閉じた。

そして2011年。次なる旅の準備に余念がなかった頃、突如として震災に見舞われ、山田もまた世界の絶望を体感し、仲間と共に多くの涙を流した。平凡な毎日の暮らしが確かに変わってしまった事を認識しながら、山田はそれでも光の閉ざされた家でギターを鳴らし続けた。嫌なことを忘れてしまおうと大好きな歌をでたらめにでも歌い続けた。明日が今日と同じでも、あさってくらいになら少しだけ希望が奏でられる。そんなちっぽけな未来のブルーな気持ちに少しでも光をと、輝きを失った街を見ながら、そこにこそ新しい朝がくるのだと信じて歌った。

その歌たちはやまびこのように、これまで旅をしてきた遠き地に住む仲間たちにも確かに伝わっていった。励まし合う言葉には魂が宿り、いくつの山々を越えてまた新たな絆を形成していった。もう一度旅に出て、その気持ちを確かめ合い、昔から語り継がれている言葉だって、何度でも歌い尽くされている歌だっていいから、また一緒に“歌”を共有しようという機運が高まった。山田は旅先で仲間たちと無事を確かめあい、再び歌を共有し始める。すぐに歌にして盤に記録するよりも、ゆっくりと仲間たちと歌を育てていく事を山田は選んだ。不確かな日々の中の言葉では、本当の“今”は描けない。伝えたい想いは山ほどあるけれど、今はポッケや手帳に隠しておけばいい。そんな気持ちを抱きながら、またひたすらに旅を続け、歌を歌った。そして少しずつ少しずつ、新しい“言葉”が紡がれていった。それはブルーな感情に包まれていたが、なりゆきまかせの旅をしている山田にとっては、実に自然で普遍なものであった事だろう。今は何より気持ちを一つにしてたくさんのブルーな想いを歌で包んでしまおう。そんな思いで時を過ごし、ホスピタリティー溢れる音楽の共有の日々は続いていった。

そしてそれら群青のエモーションの結晶が、ようやく2013年になって芽吹く。ニューアルバム『新しい青の時代』の誕生である。ここには、絶望がある。失意があり、悲しみが溢れている。こんなに悲しいアルバムがGOMES THE HITMANの時代からあっただろうかと疑うほどである。かつて山田稔明はバンドという船で大海原を航海している途中、その舵を奪われ、一時コンパスも使えない遭難時期を経験した事がある。もちろんそんな時でも山田は気にせず歌を歌い続けるのだが、その時発表されたアルバム『mono』もまた、孤独と切なさに溢れたアルバムであった事を思い出す。しかしそれはまた自由な身でありながらの孤独の歌であり、その先に確かな希望と情熱が満ち満ちていた。それとはまた違う、『新しい青の時代』の悲しみとはなんであろう。

山田はあらゆる旅先で優しさに満ちた数々の理想郷と出会い、今日まで歌を歌い続けてこれた、と言える。そこには唐紅のもみじを敷き詰めた風景があった。海を見下ろす月あかりの光があった。田舎道の風が稲穂を揺らす、星降る街の輝きがそこかしこにあった。しかしそれらが、一時青いフィルターにかかってしまった情景を山田は認識する。そして自分の歌にあえてブルーシートを被せて避難場所を作るのだ。皆、暮らしはどう?一瞬立ち止まってみてもいいじゃないか。変わらないかもしれない。季節はもういつかの季節になって今があるだけかもしれない。だけど考えて、感じて、少しだけ思ってみよう。どれだけ歩けばオトナになれるかなんてわかりはしない。だけどわからない事を考えることで、少しはオトナになれないだろうか?少しだけまともにはなれやしないかな?絶望の淵で皆が寄り添い、こだまする歌を共有してきた山田はそんな事を求め、願いが叶うならば、その避難場所から脱出した時にこそ目の前に真っ青な青空が広がっていてほしいと思う。新しいホライズンの境界線に輝く地平上の青いラインを、また僕らの手に取り戻したいと思う。そしてその空に舞うユニコーンのような幻想的できらびやかな絵空事を、再び僕らは楽しめる事が出来ないだろうか。そんな、現実離れした願いと共にでも、あえて「皆、暮らしはどう?」 と、考えを問うているのではないだろうか。

本作『新しい青の時代』で描かれているブルーは、希望の果ての絶望によるものではない。感じ得る絶望の果てに何を見るのか、その重要性を綴ったものなのだ。その為に山田は卓越した音楽センスと共に、優しく仲間たちに“考えること”を提案し、再び一緒に歌っていこうと呼びかける。新しい人びとと出会い、また「こんにちは」「はじめまして」「いい日だね」と語り合う。誰だって「気分の悪い日だね」なんて言い合いたくはない。ゆっくりと、日向ぼっこしている猫と共に、今日は何しようかなと考えながら日が暮れて呆れて笑っていたい。今はちょっと嫌なジョークみたいなニュースも多いよ。味のなくなったガムみたいに、文字通り味気ない時だってあるよ。だけどちょっと考えてみればいいと山田は提案しているのだろう。考えること。それは単純な事でありながら、新しいコミュニケーションの提案の始まりであり、確かに昨日とは違うサムシング・ニューの始まりなのだ。言葉にすると薄っぺらいけど、言葉だけじゃ足りないけど、はじめて憶えた英会話のような驚きと新鮮をもう一度取り戻そせる筈だろう?と叫んでいるような気さえする。“今まで通り、愛すべき平凡な日々ではないよ、でもね。”山田が言っている事はそんな些細なことのようなメッセージなのではないだろうか。それは文字通り、誰にもわからなかった(予想だにしなかった)本当の物語であり、旅人・山田稔明が大陸を渡り歩いてきた果てに見る、新しいブルーの時代にこそ問うべき、昨日とは違う彼による永遠の普遍についてのアプローチなのである。

志田一穂 2013.7.7

2013年当時『新しい青の時代』によせられた感想コメント

2018-06-26

みんなが好き勝手に書く、熱い感想コメントが大好きだ。今日紹介するふたつは大好きな友人が2013年当時に綴ってくれた文章。

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blueは3枚目

blueと言えば佐野元春と決まってる。元春と言えばボスだ。
ボスと言えば山田さんも大好きだ。
そのボスの3枚目は『Born to Run(明日なき暴走)』という恐ろしく良いアルバムだ。
山田さんは自身の作品をミュージシャンと制作した年齢で対比するが
私は何枚目にそれが作られたかで対比する。
だから『新しい青の時代』は『Born to Run(明日なき暴走)』なのだ。 注)ボスと言えばブルース・スプリングスティーン
でも山田さんにゴメスのアルバムがあるじゃんって言う人がいるかも知れない。

blueと言えば佐野元春と決まってる。元春と言えばポールだ。
ポールを山田さんが好きかどうかは知らないが、私は好きだ。(だからいーのだ)
そのポールの3枚目は『Stanley Road』という恐ろしく良いアルバムなのだ。
最後に「あさってくらいの未来」を入れたのはきっと「Wwings of Speed」に対比したからだろうと
私は勝手に思っている。 注)ポールと言えばポール・ウェラー
私の好きなミュージシャンの3枚目は素晴らしいに決まっている。
だらら私の好きな山田さんの3枚目『新しい青の時代』も素晴らしい。

あっ佐野元春の3枚目は『SOMEDAY』。やっぱり素晴らしい!

aalto coffee 庄野雄治

同い年リサーチ

2018-06-25

このクラウドファンディングも残り5日となりました。7月になると新しい季節です。『新しい青の時代』リリース当時2013年にaalto coffee庄野雄治氏主宰のZINEのために書いた文章を下記に転載したいと思います。僕は今年で45歳になりますが、このアルバムを作っていたのは37歳から39歳の間でした。自分の三十代を代表する1枚、四十代を代表するやつにそろそろ着手しなければなりません。

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いつも旅の途中 by 山田稔明
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昔は短絡的で陳腐な言い方だと思っていたのだけれど、「人生とは長い旅のようなものだ」と最近あらためて、心からそう思うようになってきた。距離の移動ではなく時間の移動も旅なのだと感じるようになった。作詞作曲をしてステージで歌って何年かに1枚レコードを作ってまたそれを届ける音楽の旅に出るということを生業にしているので、それはメタファーではなくなってきた。

旅には先人がいるものだ。旅路には誰かがつけた轍(わだち)のあとというものがある。僕は今年(2013年)三年ぶりに新しいレコードを完成させた。『新しい青の時代』というのがそのタイトルなのだけど、僕は齢39歳(当時)でこのアルバムを完成させた。作品ができあがるといつも決まって調べ物をすることになっている。それは、自分と同じ年のときに偉大な音楽の先人たちが何を成していたか、ということだ。

たとえばボブ・ディラン、彼が39歳だった1980年には『Saved』という、いわゆる“キリスト教三部作”の第二作目でユダヤ教からキリスト教に改宗して精神世界の深みを漂っている最中。たとえばポール・サイモン、彼も39歳だった1980年には『One Trick Pony』という映画とそれに伴うサウンドトラックを発表、映画は酷評され失敗作となり、歴史的名盤『Graceland』まではあと六年かかる。40歳で死んでしまうジョン・レノンは子育てをしながら最後のアルバムを作っていた。

大ヒット作『Born in the USA』に続く作品としてブルース・スプリングスティーンは1987年に『Tunnel of Love』という、とても地味で内省的なアルバムで愛の苦悩で抜け出せないトンネルの闇を歌っている。R.E.M.のマイケル・スタイプは1999年頃、不動のはずだったメンバーが欠け『Up』そして続く『Reveal』で方向を模索していた。

山下達郎は『アルチザン』と『シーズンズ・グリーティング』、佐野元春は『サークル』と『フルーツ』のあいだの季節を過ごし、小沢健二は『毎日の環境学』というインストゥルメンタル作品を作り、言葉を語ることをしなかった。文学に目を移すと、村上春樹は39歳の頃に『ノルウェイの森』を上梓した。主人公のワタナベは物語の始まりで37歳なので、これは僕が新作『新しい青の時代』を録音し始めた歳とも符合する。

この“同い年リサーチ”はいつも僕の心を鼓舞する。まだまだこれからだ、という気分にもなるし、もっともっとと自分を追い込むことにもなる。僕は人生という旅のなかで偉大な先輩たちが記した地図を眺めながら風向きを読み、自分自身の地図を作っているところ。辿り着く場所はどこでもよくて、重要なのはその過程で見る風景だ。これから先の旅路をわくわくしながら今日も旅先で僕は歌を歌うのだ。(山田稔明)

『新しい青の時代』へ寄せられた言葉たち

2018-06-21

5年前の今頃もそうでしたが、リリース前になるとわくわくしてきます。毎回誰にレコメンドコメントを頼むのかを考えるのも楽しい悩みですが、今日は2013年『新しい青の時代』リリース時にいただいた寄稿文をあらためて紹介したいと思います(杉真理さんのも再掲)。


心がぱーって開いて、山田さんの声がいろんな風景をつれてきてくれます。
晴れだって雨だって嵐だって、毎日の生活をまるごと受け止めてくれる、
楽しくて優しくて強いアルバムです。
<b>高橋久美子(作家・作詞家)</b>



山田稔明くんのアルバム「新しい青の時代」を聴いた。
彼の人となりを僕はそんなに知っているわけではないけれど、
逢うたびに感じる真っ直ぐな心がそのまま音に込められている様な気がした。
嘘つきの匂いがしない音楽っていいな。優しい時間をありがとう。
片寄明人(GREAT3、Chocolat & Akito)



山田君の渾身の新作、昨夜じっくり聴いた。
70年代、買ってきた洋楽のアルバムに針を落とし(アナログ盤しかない時代)、
見っけ物に出会えた時の高揚感が久々に甦ったみたいだった。
夜の闇の中、世界には僕とこのアルバムだけしか存在してないような不思議な幸福感だった。

最初にゴメスと仕事をしてから随分経つけど、山田君の「ひねくれ屋」な部分が
増々魅力を放って来たように思う、それとは判らないように。
山田君が歌う「日常」って決して淡々としてなくて、ドラマチックでファンタジーに溢れてる気がする。
もし僕が異星人だったら、歌にしたくなるような事ばかりだ。季節があって公園があって猫がいて・・・。
だから山田君の歌を聴いてると、もっと「日常」に目を凝らさなくっちゃって思う。自分が旅の途中だったって事を思い出す。
アルバム中どの曲もいいけど、僕は特に『月あかりのナイトスイミング』が好きだ。
転調巧くなったね、素晴らしいよ。
杉真理(シンガーソングライター)



最近、あまり音楽を聴かなくなった。飽きたのではなく、いま街から聴こえてくるような音楽は喜怒哀楽のどれかに特化し過ぎていて、まるで感情の起伏をせかされているような気分になるので、穏やかに暮らしたい自分の生活のBGMには合わないのだ。だからと言ってボサノバやジャズや古い音楽でお茶を濁す気分でもないので、AMラジオのお喋りばかり聴いている。そんな折、山田稔明さんのニューアルバムのタイトルが『新しい青の時代』だというニュースを届き、単純に連想してみた。「新しい」が喜と楽、「青」が哀、「時代」が怒。これは個人的な印象なので、他の方も色々な感じ方があると思うが、僕は特に「青」という言葉にひっかかった。GOMES THE HITMAN時代からソロ活動初期の山田さんが歌い続けてきた音楽は、朝や空や淡い想い出の水色、夜や海や深い悲しみの群青色、または青春。そんなふうに色で例えると紛れもなく「青」だった。それを改めて言うなんて野暮だと思ってしまったのだ。しかしいざ収録曲を聴いてみると、確かに青ではあるものの、そのどれでもない青が心に残った。そう、まさに福田利之さんが飾ったジャケットイラストの色。いわば普通の青なのだが、ぜひCDショップに行って周りにある他のCDジャケットの色と見比べて欲しい。実はとても珍しい配色だということに気付くだろう。同じように僕らの”平凡な毎日の暮らし”は、それぞれが、またその1日1日が特別で新しい。それを愛おしく想う強い気持ちがこのアルバムには詰っている。ようやく明日からまた音楽が側にいてくれる日々がはじまりそうだ。山田さん、ポチ、ありがとう。いつもありがとう。
中村佑介(イラストレーター)



五十嵐祐輔が聴いた『新しい青の時代』/文・五十嵐祐輔(fishing with john)

山田稔明氏の新しいアルバム『新しい青の時代』が手元に届きました。普段バンド編成でのライブの際は“夜の科学オーケストラ”のメンバーとして演奏に参加させていただいている身ゆえ、彼の新曲をいち早く耳に出来る立場なのですが、ここ2、3年の間に生まれた数多の新曲の中でも特に厳選された、彼のこれまでとこれからの道筋を示すような曲群がぎゅっと詰められたアルバムになっています。それこそ最新の彼の創造に触れることができるワンマンライブ“夜の科学”でも何度も披露されてきて、ファンの方には耳馴染みのあるメロディーと言葉が青い色彩にパッケージされ、部屋のステレオで、携帯音楽プレイヤーに入れて屋外で、好きな時に聴くことが出来るわけです。このことを彼の全国各地で待ち望んでいたファンの方と共にまずは喜びたい次第です。
アルバムは「どこへ向かうかを知らないならどの道を行っても同じこと」という彼史上(恐らく)一番長いタイトルの楽曲で幕を開けます。彼のスタートを急くような、ダッシュに至る助走のような空ピッキングから始まりインディアンの古い言葉からの引用だというタイトルのフレーズが高らかに歌われます。道に迷うこと、それでも前進することを肯定的に捉えたかのようなこの言葉はまさに彼のこれからの歩み方の表明とも聞こえます。ディランの如き力強いギターのストロークとブルースハープの演奏に彼のアメリカンフォークソングへの傾倒が感じられますが、歌詞にもディランの言葉の引用が見られます。これを歌う彼の視線の彼方には未開の荒野が広がっているのでしょうか。あと曲中にチャットモンチーの歌詞も一部引用されているそうなのですが、気付かれた方はいらっしゃるでしょうか。彼の家で2人でチャットモンチーのDVDを泣きながら見た思い出がよぎります(笑)。
「一角獣と新しいホライズン」は「ヒア・カムズ・ザ・サン」を思わせるギターのアルペジオフレーズがきらきらと印象的な楽曲。デモの段階ではドラムとベースが入っていなかったので、バンドでリハをする時に何度となくサウンド全体の解釈を変えたような覚えがあるのですが、今回レコーディングされたバージョンは疾走感溢れるロック色の強い仕上がりになっています。歌詞に登場する「夜明けの海のインディゴ」の澄み渡った色彩が耳を通じて視界に広がって行くようで、まさに「青の時代」というタイトルを象徴するようなイメージとなっています。曲タイトルの由来がまさか英語の教科書とは彼の口から聞くまで想像もしなかったですが、外語大卒の彼らしいイマジネーションとも言えそうです。
「光と水の新しい関係」は旅の途上で日々を俯瞰した叙情的な楽曲です。「僕はもう行かなくちゃ」というフレーズは旅先を後にし、また新たな旅先へというような意味合いだと思うのですが、震災後に耳にした時には「変貌してしまったこの日々を再び歩んで行かなくちゃ」という意味合いに聞こえ、とても心動かされたことを覚えています。歌詞に登場する「唐紅」という鮮明な色彩が聞く者の心を灯すあかりのようで、青のイメージの中に一点の温かみをもたらしています。
「予感」はいつだったかライブの前に彼が「こんな曲作ったんだけど」とポケットから手紙を取り出すかのようにさり気なく持って来た小作品といった趣きの楽曲で、その後すんなりバンドのレパートリーに収まりました。アルバムバージョンではtico moon友加さんのハープや上野さんのフルートによるクラシカルなアレンジも美しいですが、安宅さんがクラリネットを吹いているそうで(彼のクラリネットデビュー音源となるそう)彼のマルチプレイヤーっぷりも存分に堪能出来る楽曲となっています。こんな歌のような優しい手紙を差し出したい&差し出されたいものです。
「平凡な毎日の暮らし」は我々の繰り返される日常を肯定的に捉えた生活讃歌とも言える楽曲です。アルバムの後半へと勢いをつけてくれます。この曲はデモの段階でほぼこのアレンジに完成されておりました。ライブで演奏する時全員がドライブする瞬間があって気持ち良いのです。とてもライブ映えする曲です。ベースのエビちゃんが不在だったライブ時に私が代わりにベースを弾いたのですが、その時の楽しさをいつも思い出します(笑)。全体夢見心地でピースフルな歌詞と思いきや「抱きしめる痛み」というフレーズが最後にぴりっと登場します。
「月あかりのナイトスイミング」はデモの段階ではラフなバンドっぽいイメージだったのでライブでもそう演奏していたのですが(個人的には少年たちの行進曲というイメージでした)、今回アルバムでは佐々木真里さんによる幻想的で美しいピアノアレンジが全面に打ち出されています。「夏の日の幻」が昼間ならこちらは夜でしょうか。冒頭の夕焼けの赤から夜の青への光のグラデーションが後の「光の葡萄」へと引き継がれて行きます。タイトルは彼が敬愛するバンドR.E.Mの曲名から由来しているという豆知識はファンの方ならご存知でしょう。
「やまびこの詩」は彼がこのところ趣味にしているという「ロープウェイでの山登り」をきっかけに生まれた曲だそう。タイトルは彼曰く「さだまさしっぽい」とのことですが、この2010年代の世にさだセンスを持ち込んで違和感がないというのも山田マジックの成せる技でしょうか。サビでそれこそやまびこのように歌声を追いかけるくだりがあるのですが、今回はイノトモさんが母性溢れる澄んだコーラスを聞かせてくれています。ライブでは毎回ここをお客さんに歌わせているのですが、山田氏が指導してお客さんが歌うという光景がまるで音楽の授業のように繰り広げられ、その優秀な生徒っぷりを見ながら毎回感心しておりました。今度からは自宅で、携帯プレイヤーを耳に屋外で、このアルバムを聞いている人がそれぞれ追っかけコーラスをすることでしょう。アルバムリスナーの人数分だけやまびこが響くと想像すると爽快な気持ちになりますね。ちなみにこの曲では私もギターをそっと歌に添えさせて貰っています。
「光の葡萄」はライブでも定番となっている近年の彼の代表曲ともいえる楽曲です。これまでの楽曲にもそこかしこに散りばめられてきた我々の日常に沿う光の色彩の描写(例えば青と赤と緑のまばたき)を「葡萄のようだ」と山田氏はある夜ドライブしながら発見したそうです。彼のブログを読んでいると東京の街を車で移動している様子が言葉や写真で多く語られているのがわかります。そこにはよく夜の街の灯りが淡く映っています。人々の暮らしを象徴する街の光を葡萄の房に見立てた彼の視点が冴えた聖なる日常讃歌と言えそうです。Hicksville中森さんのギターが曲にドライブ感を与えています。
「日向の猫」は彼の愛猫ポチが日向で佇む姿を見ながら「幸せとはこういうことではないか」とふと思ったところから生まれたというピースフルなワルツです。ポチのキュートさは彼の口から何度も語られているし、彼のインスタグラムはほとんどポチの写真集と化しているほどなのでファンの方ならご存知でしょう。物販でポチのポストカードを売るという暴挙(?)に出て喜ばれるのも彼ならではです。この曲のサビで「ラララ」と歌われるコーラス部分はこちらもライブでお客さんに歌わせている「音楽の授業シリーズ(私が命名)」になります。今回のアルバムでは全国各地でお客さんのコーラスを録音しそれをミックスして収録してあるそうです。ライブでコーラスに参加したことがある方は「あ、俺の声!」「わ、私の声!」と思いながら聞いてみて下さい。ちなみに歌詞に登場する「氷の窓に誰かが描いた一筆書きのチャーリーブラウン」というフレーズを聞いて個人的に思い出すのは、数年前に高円寺のマーブルトロンという会場で行われた彼のワンマンライブを見に行った際、最後に彼が突然背後のカーテンを開けて真冬の冷たい空気で曇った窓ガラスに指でイラストとメッセージをさらさらとそれこそ一筆書きのように描いたという光景で、ただの窓ガラスがメッセージボードとして立ち上がったその様子に「おお!」とひどく感激したのを覚えています。最初渡されたこの曲の譜面にはそれこそ彼が一筆書きしたと思われるチャーリーブラウンのイラストが添えられていました。彼は「実はチャーリーブラウンは一筆書きじゃ描けないんだけどね」と言っておりましたが。猫を飼ってらっしゃる方はこの曲をご自分の猫のテーマソングにすると良いでしょう。
アルバムラストを飾るのはこれもライブでのラスト曲の定番となりつつある「ハミングバード」です。この曲もライブで演奏する際、バンドがドライブする瞬間が多々あり盛り上がるのです。いつもこの曲の途中で「ああもうライブも終わりか」と名残惜しいような気持ちになります。アンケートでもこの曲をフェイバリットに挙げる人が多く、初の音源化を喜ぶ人は多いのではないでしょうか。アルバムを締めくくるに相応しい壮大な楽曲です。
さらに今回は最後に、先立ってシングルで配信されていた「あさってくらいの未来」がボーナストラックとして収録される運びとなりました。ライブで言えばアンコールのようなものでしょうか。実は山田氏から「この曲がアルバムに入るとトゥーマッチなので外そうと思うんだけどどう思う?」と相談されたので「これは名曲なのでアルバムに刻んでおいた方が良いですよ」と答えたところ、結果としてボートラ扱いで入るということになったわけです。この曲のアルバム収録を望んでいた方は「五十嵐の後押しで入ることになった」という事実を頭の片隅で思い出していただけると幸いです(笑)。映画のために依頼されて作ったという経緯があるせいかアルバムのムードとは少々違うテイストとは言え、他の楽曲群と同じ時期に紡がれた歌として記録されておくべきではないかと思ったのです。「あさってくらいの未来」や「5センチくらいの些細な兆し」への目線はそのまま日向に佇むポチを見る目であり、街の光の葡萄に人々の暮らしを想う目線です。この曲をふとした時に鳴らしてまた明日へもう一歩踏み出す勇気を得るきっかけにする人が多くいることを想像します。そしてまたアルバムの1曲目へ巡回すれば完璧です。
改めてアルバムの収録曲を聞き返してもう40代に突入しようというおじさん(失礼)とは思えぬ瑞々しい少年性を持った歌声と言葉に「永遠の青二才」なるフレーズを思い浮かべたのですが、彼の地に足の着いた青臭さは紛れもない強固な魅力なのであり、「新しい青の時代」とはそんな青さを持ったまま歩み続けるという彼の意思表明としても聞こえ、よく命名したものだと思います。
そんな彼のここ数年の集大成ともいえる内容の傑作アルバムです。ぜひ何度も何度も繰り返し聴いて下さい。
五十嵐祐輔(fishing with john/草とten shoes)

やってまった…という話

2018-06-20

現在僕はGOMES THE HITMAN13年ぶりの新録CD『SONG LIMBO』、そしてGOMES THE HITMAN2000年代の作品をまとめた3枚組ボックスセット『00-ism [mono/omni/rippe] 』、そしてこのクラウドファンディングで実現することになった『新しい青の時代』を並行して制作しています。そこにライブ活動とか、猫のこととか、原稿依頼があれば書かないといけないし、こないだまではTシャツ展というのをやっていて、もうパンパンなのです。いつも夏前は忙しいんだけど、今年はどうしちゃったのかというくらい。

で、『新しい青の時代』は余裕を持って進めてきたわけですが、「やってまった…」のです。校正ミス。東洋化成の工場まで発送され、まさにLPのジャケットのなかに封入されんとされていた歌詞カードを作り直すことになって、6月末には完成するはずだったレコードが7月のライブ直前までかかることになってしまった。悲しさとか脱力感とか自己嫌悪とかを乗り越えて今は落ち着きを取り戻してはいますが、とにかく完璧なレコードになって皆さんの手元に届くのを今しばらくお待ち下さい。

クラウドファンディング終了まで、あと10日。

しつこく色校正|クラウドファンディング終了まであと20日

2018-06-10

しつこく色校正|クラウドファンディング終了まであと20日

ジャケット色校正

2018-05-26

ジャケット色校正

レコードの針のこと

2018-05-25

レコードの針のこと レコードの針のこと

音を刻む|カッティング作業完了

2018-05-23

音を刻む|カッティング作業完了

レコードができるまで

2018-05-21

歌詞を本来の姿に

2018-05-14

4月から始まった『新しい青の時代』5周年記念アナログ盤発売プロジェクト、目標額にも早々に達成して、今月に入っていろいろな諸作業が始まりました。「カッティング」という大事な作業が来週に決定、初めてその現場に立ち会えることに興奮しています。今回オリジナルCDの11曲入りからボーナストラックだった「あさってくらいの未来」を抜いた10曲入りになることはお伝えしていますが(本来『新しい青の時代』は10曲入りアルバムと想定されて制作されました。ぎりぎりになって「あさってくらいの未来」を収録したことは正解だったと今では思います)、今回のLP化ではCD完成間近のタイミングで修正された一部の歌詞をオリジナルな形に戻すことにしました。

2013年当時、ある楽曲のあるフレーズに関して信頼する関係者から示唆と意見があり、想い悩んだ末に録音済みだった歌詞を書き換えて差し替えたのですが、実は僕はそのフレーズを一度もライブで歌ったことがないのです(つねにオリジナルの歌詞で歌っています)。なので今回のLP化にあわせて、本来あるべき形に戻そうと思いました。ほんの些細な数文字ですが、自分にとっては大きな数文字です。「日向の猫」という曲に関しては、もともとのタイトルは「日向の猫とチャーリーブラウン」だったのを、これも完成直前にシンプルに「日向の猫」としました(これも同じく信頼する関係者からの提言でした)。これについては、その後『ひなたのねこ』という写真絵本集へと繋がっていったりしたこともあり、正しい判断だったなあと思っています。

5年という時間が経って様々な意識的、無意識的な伏線がすっと回収され、物語が美しく収束していく感覚がとても心地よく、とにかくこの5月はいろいろ晴れ晴れとした気持ちになって、なんだかあっという間に過ぎていきます。

もう少しお待ち下さい。僕もわくわくしています。